多々良沼公園(館林市・邑楽町) 邑楽町多々良沼公園(邑楽町)
- 公園の紹介(県立&邑楽町)
- 邑楽町多々良沼公園(邑楽町)
- 遊具広場(県立)
- 自然ふれあいエリア(県立)
- 満開の藤の花(邑楽町)
- 浮島弁財天(邑楽町)
多々良沼の半島部分
広い公園の西側の多々良沼に突き出た部分が邑楽町立の「多々良沼公園」です。こちらだけでも約8.62haあります。
推測に過ぎませんが、このエリアが多々良沼周辺で一番最初に整備されたのではないかと思います。
「邑楽町多々良沼公園」には、園路が縦横に走っている広大な芝生広場、130mもある藤棚、雑木林、鶉古城趾、浮島弁財天、浮島弁財天前にある藤の古木、駐車場などがあります。
桜の名所としても知られていて、春になると多々良沼の周囲の園路に連なる約120本の桜が沼に映えて美しい光景を作り出すそうです。
お城好きには、鶉(うずら)古城の城跡があることでも知られています。
案内板によると、鶉古城は多々良沼に突出した荒間崎と呼ばれた半島部に築かれた城で、江戸初期にはすでに この名称が使われていたそうです。
築城したのは北条高時の弟僧慧性と荒間五郎朝春。元弘3年(1333)5月高時が鎌倉に滅ぼされたとき逃げて来たのだとか。
その後、応永年間(1394〜1428)には多々良四郎忠致の居城となり、戦国時代は館林城主の重臣で下野国小曽根郷八形(足利市高松町)城主小曽根政義が小田原北条氏の来攻に備えて守将となりました。
しかし、天正18年(1590)館林城落城に伴い廃城となり、250年あまりにわたる歴史に幕を下ろしました。
浮島弁財天も「鶉古城」に関係していて、築城したとされる荒間五郎朝春が建立したそうです。
多々良沼全体に言えることですが、野鳥観察の名所ですね。多くの野鳥を観察するためにたくさんの人が、四季を問わず訪れています。
特に11月から3月頃には、多々良沼西岸のガバ沼あたりには毎年100羽ほどの白鳥が飛来することで知られています。定住するコブハクチョウも数羽確認されていているそうです。
ガバ沼エリアは「邑楽町多々良沼公園」の北側に隣接しています。
藤と浮島弁財天
多々良沼の南側からアクセスすると遊具が並んだ広場と駐車場が見えてくるはずです。遊具から多々良沼方面に目を転じるとちょっと小高い丘の上に四阿もあるはずです。
そのあたりが、県立多々良沼公園の「いこいと花のエリア」と呼ばれる場所です。
「邑楽町多々良沼公園」は遊具を右手に見ながら右折して少し奥に進み、更に左折すると右手に見えてくる駐車場の奥にあります。
その駐車場が邑楽町多々良沼公園の駐車場で80台ほど駐車が可能です。駐車場の裏手は樹木がこんもりと茂った小高い丘です。そこが鶉古城趾。
駐車場からは左手の多々良沼側に舗装された園路があり、右手には木立の中を土塁の址を見ながら進む園路があります。
左手の園路を進むと見えてくるのが浮島弁財天。右手の園路を進むと広大に芝生広場に行き当たり、更に藤棚があります。
芝生広場は広大です。芝生広場は、藤棚の周囲から奥の四阿の周囲まで縦横に走る園路の周囲に広がっていて、簡易的ではありますがGoogleMapで計測したところ約16,000平方メートルもありました。
多々良沼側の芝生広場の端には柵が設けてありますが、向こうは沼なので小さなお子さんからは目を離さないようにしましょうね。
芝生広場周辺
広大な芝生広場を順番にご覧いただきます。
トイレです。 |
藤棚の横手は広大な芝生広場。 |
右側の園路の奥が藤棚です。 |
多々良沼と園路
中心奥に見えている赤い物体が浮島弁財天です。 |
釣り人。 |
500円ですね。 |
右のこんもりとした緑が鶉古城趾。 |
鶉古城
奥です。 |
左が土塁。 |
案内看板。 |
駐車場 荒間崎
邑楽町多々良沼公園の駐車場。 |
弁天島から見た邑楽町多々良沼公園。 |
アクセス
- 電車
- 東武小泉線「成島駅」徒歩約13分 約1.0km(自然ふれあいエリア)
- 東武伊勢崎線「多々良駅」徒歩約19分 約1.5km(日向エリア)
- 東武小泉線「本中野駅」徒歩約23分 約1.8km(ガバ沼エリア)
- 東武伊勢崎線「多々良駅」徒歩約19分 約1.5km(日向エリア)
- バス
- 最寄りのバス停は、「県緑化センター南」、「障がい者総合支援センター前」、「鶉新田集会所前」、「成島町」、「松沼町」です。
- バス会社は、「矢島タクシー」「つつじ観光バス」
- クルマ
- 東北自動車道「館林IC」から約20分
- 東北自動車道「佐野藤岡IC」から20分
- 駐車場
- 10ヶ所、318台(無料)。体感的にはもっと可能。臨時もあります。
多々良沼公園 全体案内図
多々良沼公園 全体案内図 |
多々良沼公園 ウォーキングマップ |