古河公方公園(古河総合公園)(古河市)
こんな施設があるよ
総合公園から公方公園へ
「民家園」の向かって左手にある「史跡 古河公方館址」。 横に説明看板があるので読んでみましょう。 |
2010年代に入ってからだと思いますが、古河総合公園は「古河公方公園(こがくぼうこうえん)」と名乗るようになりました。
GoogleMapで見ても、開園当時の名称だった「古河総合公園」をカッコ内に入れて「古河公方公園(古河総合公園)」と表示しています。ですので、当サイトでも倣って変更しました。
実は、開園当時から「総合公園」と呼ぶには多少の違和感がありました。一般的な総合公園は「体育施設」を多く擁している場合が多いのです。知っている限りの「総合公園」を思い出しても野球のグラウンドや多目的広場、体育館等のスポーツ施設のない総合公園は思い当たりません。
国土交通省による総合公園の定義では『都市住民全般の休息、観賞、散歩、遊戯、運動等総合的な利用に供することを目的とする公園で都市規模に応じ1箇所当たり面積10〜50haを標準として配置する。』とあります。
「古河公方公園」の場合、体育施設以外は当たっていると思いますが、体育施設だけは一切ありません。地元に方によると、公園の西側の遊休地を既に買収済みだそうです。そちらに今後体育施設を建設する計画もあるのかもしれません。
話を戻します。公園名に冠された「公方」とは「鎌倉公方」のことです。「鎌倉公方」であった足利成氏が、が古河に移って屋敷「古河公方館」を建設したのが1455年で、場所は現在「民家園」が建っている横手でした。防御のための空堀や土塁も作られました。
足利成氏が「古河公方館」を本拠にしたのは2年ほどで、その後は古河公方公園の北側にあった「古河城」に居を移して権勢を振るいました。このあたりは歴史的には未解明の部分が多いようです。
「古河城」は南北に1800メートル、東西550メートルもあったそうで、自然の渡良瀬川まで堀として活用していたようです。
お話を伺った地元の方は「あの城が残っていれば良い観光資源になったんだけどな」とおっしゃっていらっしゃいました。資料をあたってみると古河城は、明治6年に廃城が決定し翌7年に取り壊されたそうです。お話させていただいた地元の方は畳みかけるように「先見の明が無かったんだよ」とおっしゃられました。「だって日本中、城の残っているところ、たくさんあるじゃん…」……確かに。
解体された「古河城」は更に悲しい運命を辿ります。明治末期に度重なる渡良瀬川の洪水を防ぐため大規模な河川改修事業が始まったのですが、この工事で主要な曲輪は削平され、堀は埋め立てられて堤防や河川敷などに変わってしまい、城跡のほとんどが消滅してしまいました。幻の城と言われる所以です。
河川改修工事は16年かかったそうです。建設機械の無い当時にここまで大きな城郭を破壊したのはとても珍しいことなのだそうです。それにしても残念でした。河川改修については上流の谷中村廃村と共にいろんな意見があるようです。
鎌倉公方から古河公方へ
「史跡 古河公方館址」の横にある堀と土塁の址。 奥に花桃のピンクが見えますね。 |
Wikipediaによると「鎌倉公方(かまくらくぼう)」とは室町幕府の将軍が関東十カ国(相模・武蔵・安房・上総・下総・常陸・上野・下野・伊豆・甲斐)を統治するために設置した鎌倉府の長官のことで足利尊氏の四男・足利基氏の子孫が世襲していました。
「鎌倉公方」は名前の示すとおり、当初は鎌倉を拠点にしていました。しかし、足利成氏が1455年に古河に移り、渡良瀬川の造り出す湿地の脇の台地に館を構えました。これが享徳の乱と呼ばれ、戦国時代の幕開けの戦とも呼ばれています。
以降、「古河公方(こがくぼう)」と呼ばれ、成氏の後、政氏、高基、晴氏、義氏と五代約130年に渡り北関東に一大勢力を誇ったのだそうです。隣国と戦ばっかりやっていたみたいですが。
片仮名のコの字型の「御所沼」の中央の出っ張りが「公方様の森」と呼ばれています。公園の芝生広場から「天神橋」を渡って奥に行くと「民家園」の手前に「史跡 古河公方館址」の石碑が建っています。石碑の東西には当時の御所沼の堀と土塁が址を止めています。石碑に示されている「古河公方館」は古河市の住所から「鴻巣御所」「鴻巣館」とも呼ばれました。古河城も御所と呼ばれることがあるため注意が必要です。
ここまで考えると名称変更はとても自然なように思えます。っていうか最初から「古河公方公園」にすべきでした。
茨城県指定文化財 史跡 古河公方館址 (読みにくくてごめんなさい。冒頭に置いた石碑の横にある説明板です) |
必見の花桃
奥のエリアです。花桃の木が低いのでなんとなくイマイチに見えてしまいます。 |
古河公方公園で「古河公方」に次いで語られるべきは「花桃」でしょう。古河公方公園では5品種約1500本の花桃が植えられています。
公園で配布しているパンフレットによると、古河公方公園の花桃は江戸時代の初期、古河藩主の土井利勝が江戸で家臣の子どもたちに桃の種を集めさせ、古河に送って育てさせたのが始まりと言われています。
それも現在のように花桃を愛でるのが目的でなく、燃料となる薪にするのが目的だったのだそうです。「桃栗三年柿八年」と言われるように生長が早い上、果実が食料にもなるので桃が選ばれたのだそうです。
この故事に基づき、1975年古河総合公園開園時に、当時を偲んで江戸時代を彷彿とさせる花桃を復活させました。
初めて当公園を訪問したのは2000年でした。当時は様々な種類の花桃があったと記憶しているのですが、2018年現在は「矢口」「源平」「菊桃」「寿星桃「寒白」の5種類の花桃を楽しむことができます。
微妙に色の違う花桃が3本並んでいました。矢口だと思いますが。 |
桃の木は前述の通り成長がとても早いので、それに従って寿命もそれほど長くありません。60年くらいは保つというサイトを見かけましたが、実際は20年で老木になってしまうそうです。害虫にも弱くなかなかたいへんそうです。
こちらの花桃も2002年に初めて見た時ほどの威圧感はなくなっています。特に奥の方の花桃は細い木が多いです。たぶん、ここ10年くらいの間(2010年くらいから)に植え替えられたのでしょう。公園でお話をした地元の方もおっしゃっておられました。
「日本一の花桃の里」と謳っています。それは間違いないと思いますがいろいろとたいへんな面もありそうですね。
たぶん一番多い品種は「矢口」だと思います。濃いピンクの花びらで大人の女性を思わせる妖艶でエロチックな印象です。必見でしょう。
「古河公方公園」では毎年桜の時期の前当たり(3月下旬あたりから)「古河桃まつり」を開催しています。2018年で42回を数える大イベントです。他に気球が揚がったり歌謡ショーがあったり大道芸、民謡、ジャズ、太鼓、戦隊ショー、フラダンスショー等盛りだくさんの行事が期間中ぎっしりとあります。いずれも芝生広場に設けられたメインステージが中心になります。
入園料は必要ありません。ただし、この時期だけ、駐車場が有料(500円)となります。「古代蓮の里」の蓮の時期と同じようなシステムですね。
駐車場は「館林つつじまつり」と逆で、古河公方公園から遠目には無料の駐車場がたくさんあります。敷地内の駐車場が500円ということです。館林と逆です。
富士見塚から関東を一望
左の小山が「富士見塚」。頂上に登ると、関東一円を一望できます。段ボールで滑り降りるのも楽しい。 |
計画総面積25.2haという広大な公園の南側には、コの字型の御所沼があります。その真中に国と県の重要文化財に指定された旧家屋2棟。梅林もこのあたりですね。
公園のほぼ中央には富士見塚とよばれる小高い丘があります。こちらは御所沼を掘削したときに出土した残土を積み上げたのだそうです。ここに昇れば関東を一望する360度の景色がを楽しむことができます。
富士見塚からの眺望は、北は那須岳、男体山。
群馬方面へ目を向ければ浅間山、妙義山、赤城山。東には筑波山。
そして、条件に恵まれれば南には富士山まで見えることがあるそうです。
真冬の空気が澄んだときに挑戦してみましょうか。以前は北側に古河市の高層ビルが見えて興ざめだったのですが、2018年現在は樹木が大きくなって見えなくなっています。鬱蒼とした感じが増してとても雰囲気が良いです。
子どもたちの遊び場
富士見塚の横手にあるフィールドアスレチック。 各地の木製アスレチックが解体されて金属製に変わっている中 維持されているのはとても立派だと思います。 |
他にも花菖蒲、大賀蓮など見所もいっぱいです。芝生広場はかなり広めで、桃まつりのときには芝生広場にたくさんの模擬店が軒を連ねます。
小ぶりで小さい子向けではありますが、6ポイントくらい並んだ木製のフィールドアスレチックがあります。
フィールドアスレチックの脇には、小さな水の流れがあります。この水の流れの水源は井戸のようで手押しのポンプがありました。この水は汚いので飲んだり食器を洗ったりしてはダメだそうです。自治体で何とアナウンスしているのか知りませんが、ここでは比較的安全に水遊びができそうです。
富士見塚の近くにある軽食レストラン「ジェラテリア」ではお食事もできますが、食べた感じだとレトルトと冷食みたいですのでお弁当が良いかもしれません。
「ジェラテリア」のメニューにはバーベキューメニューもあって、前庭でバーベキューを楽しむこともできます。何の準備も要らないのでとても楽ちん。園内の他の場所では禁止です。ジェラテリアのガーデンウェディングはこんな感じです。結婚式をやって、披露宴で簡単なバーベキューパーティとか。
ジュースなどの自動販売機が少ないので途中で買ったほうがよさそうです。トイレは4ヶ所。
一番の花桃は入り口近くに
公園入り口付近の花桃。北側の奥の花桃が植え替えられて細いので、このあたりが最も枝振りがよく圧倒されます。 |
自然相手ですから、毎年満開時期が変わりますが、おおむね、春分の日前後3〜4日ころに満開を迎えるようです。記録を見ると2000年2002年、そして2010年も2018年似たようなものでした。想像を絶する美しさを是非味わって欲しい。
何度も書いている通り、奥の花桃は大半が植え替えられていてまだ若いです。2018年現在最も太く枝振りが立派なのは、エントランス部分の駐車場横の花桃です。
小高い丘の富士見塚は、ダンボールなどで滑り降りるのが楽しそう。橇みたいなヤツをぶら下げている子供がたくさんいました。似たような遊びができるのは「ネーブルパーク」のボタ山と「河川敷緑地公園」の草滑りくらいかな。
2018年3月24日8年ぶり4回目の訪問をし、のんびりと花桃を楽しんでいた地元の方に、古河のお城のことや花桃のことや公園の拡張のこと等のお話を伺って少しばかり認識をあらためました。
植え替えられた花桃はまだまだ背が低く枝振りもイマイチですが、成長が早いのでもう何年かしたら奥の花桃も立派に育つことでしょう。
満開の桃の花は美しいです。こういう風景のある郷を桃源郷というのかもしれませんね。古河公方公園公園公式サイト。
アクセス・駐車場ほか
- 電車
- JR宇都宮線「古河駅」西口下車 約2.3km 徒歩約30分(タクシー約10分1000円くらい)
- 東武日光線「新古河駅」下車 約2.7km 徒歩約35分(タクシー約10分1000円ちょっとくらい)
- バス
- 「古河駅」東口or西口(どちらもOKですが西口の方が本数が多い)から、古河市循環バス「ぐるりん号」乗車 総合公園入口バス停下車 すぐ
- 「古河駅」から朝日バスに乗る方法もあるようですが、最寄りのバス停から公園まで徒歩10分くらい離れているようです。
- クルマ
- 東北自動車道 「久喜IC」から約30分、「羽生IC」から約30分、「館林IC」から約20分。
- 駐車場
- 約700台。無料ですが、「桃まつり」が開催される期間(3月中旬〜2週間程度)のみ1回駐車で500円。
古河公方公園(古河総合公園) 園内地図
古河公方公園(古河総合公園) 園内案内図 |
第42回「古河桃まつり」会場マップ |
古河公方公園 古河桃林の由来(現地看板) |