多々良沼公園(館林市・邑楽町) 浮島弁財天(邑楽町)
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多々良沼に突き出た半島
「浮島弁財天」は邑楽町側の「多々良沼公園」の、多々良沼に突き出た島というか半島にあります。
キレイに整備されているので、元々あった島の周囲を大きめの石とコンクリートで補強して、島に向けた遊歩道を整備したように見えますが、以前から地続きだったのかどうかはわかりません。
下に置いた多々良沼の地図でも弁財天に向かって突き出た半島をご確認いただけると思います。このあたりは、昔からある半島で「荒間崎」と呼ばれているのだそうです。
浮島弁財天がある「弁天島」は、「邑楽町多々良沼公園」の「荒間崎」の突端から95メートルほどのちょっとだけカーブした歩道を進んだ先ある、周囲が約200メートルで面積は約2,600平方メートルほどの小さな島です。
島の直前には赤く塗られた長さ11メートルほどの「浮島橋」が架けられて風情があります。
下に置いた地図の通り、このあたりは館林市と邑楽町の境界線が複雑に入り組んだエリアで、荒間崎は邑楽町に属しています。謂われはわかりません。
当サイトの「公園紹介」に、多々良沼公園は邑楽町管轄と群馬県管轄とあって境界がよくわからないようなことを書いていますが、「半島部分(荒間崎)=邑楽町多々良沼公園」と考えてもそれほど大きな間違いではないような気がします。
浮島弁財天だけ邑楽町が死守している感じでしょうか? 恩林寺が邑楽町にあるからだと思いますが……。 |
浮島橋 |
浮島橋 |
浮島弁財天の由来(石碑から)
お社の手前の石碑に「浮島弁財天」の由来と、平成元年5月4日に行われた記念行事のことが記されています。
解る限り、石碑に掘られた文字を起こしてみます。
浮島辨財尊天由来
抑 当社は鎌倉幕府没落の時 執権北条高時の弟四郎慧性が、或る夜日頃崇拝する江の島弁財天が夢枕に立ち「汝等の池、上毛の郷に霊地あり、其処え逃れて居住なし、北条家の再興を図るべし」とのお告げに従い、弟荒間五郎友春と重臣三名を伴い主従五名にて多々良沼に辿りつき、恩林寺を建て東林友丘和尚を開山として北条家の菩提寺となし、北条家代々の護り神たる江の島弁財天を恩林寺開山東林大和尚に懇請して勧請し鎮守として建立したものである。
恩林寺縁起より
恩林寺とは多々良沼公園の500メートルほど北の邑楽町にある臨済宗のお寺です。禅宗ですね。
浮島弁財天は神社ですが仏教のお寺が管理しているということです。お寺が神社を??と重なったクエスチョンマークは、石碑を読むとなんとなく理解できます。
北条高時の弟は北条泰家で、「四郎慧性」は出家してからの名前です。四郎慧性が鎌倉幕府滅亡の1333年、多々良沼にやってきて「鶉古城」を築き、恩林寺を開山し、江ノ島弁財天の分霊を迎えて「浮島弁財天」を建立したということのようですね。
上に置いた「浮島辨財尊天大開扉祈念碑」の石碑は「由来」の左隣に立っています。
「大開扉」とは本殿の扉を開いたという意味でしょうか。それもただの開扉ではなく「大」なので随分久しぶりに行われた大祭だったのでしょう。お祭りの催し物まで記されていますね。
浮島弁財天は2017年9月ころから工事が行われ、美しく塗り直されています。
本殿の正面に白い鳥居があり、本殿と鳥居の間には勇壮な一本藤があります。下の方にキレイに咲いた藤の画像も掲載していますので、ご覧ください。
本殿と鳥居
狛犬と弁財天像と灯籠。 |
これ、なんだかわかりません。 |
美事な一本藤
浮島
勇壮な一本松 |
ベンチもあります。 |
浮島からの眺め
浮島から振り返って邑楽町多々良沼公園を見た。 |
釣り堀方面。 |
県立の自然ふれあいエリア方面を。 |
ガバ沼方面。 |
アクセス
- 電車
- 東武小泉線「成島駅」徒歩約13分 約1.0km(自然ふれあいエリア)
- 東武伊勢崎線「多々良駅」徒歩約19分 約1.5km(日向エリア)
- 東武小泉線「本中野駅」徒歩約23分 約1.8km(ガバ沼エリア)
- 東武伊勢崎線「多々良駅」徒歩約19分 約1.5km(日向エリア)
- バス
- 最寄りのバス停は、「県緑化センター南」、「障がい者総合支援センター前」、「鶉新田集会所前」、「成島町」、「松沼町」です。
- バス会社は、「矢島タクシー」「つつじ観光バス」
- クルマ
- 東北自動車道「館林IC」から約20分
- 東北自動車道「佐野藤岡IC」から20分
- 駐車場
- 10ヶ所、318台(無料)。体感的にはもっと可能。臨時もあります。
多々良沼公園 全体案内図
多々良沼公園 全体案内図 |
多々良沼公園 ウォーキングマップ |